飲酒運転事故を起こした加害者の家族として

2009年6月19日

主婦 女性 50代

 

夫の飲酒運転事故は私や子どもの人生に大きく影響をもたらしました。酔いつぶれて帰ってきた翌朝、車があることにしばしばびっくりしながらも、運転できるぐらいの量だったんだと安堵していた日々。夫の酒がひどくなった頃、毎日のように繰り返す飲酒運転のことで、喧嘩は絶えませんでした。救急車のサイレンが深夜に鳴り響くと夫が事故で怪我したのでは…と、真っ先にそのことを思い、その次によぎることが他人に怪我をさせたのでは…と帰ってくるまで不安で眠れないことも度々でした。

一番避けたかった出来事が現実になった日。事故現場で、酒が残ったしまりのない顔でたたずんでいる夫の惨めな姿に、ついに起こってしまったという怒りと情けなさでいっぱいでした。命に問題はないと聞かされ安心したものの、愚かな行為の結末を受け止めるにはあまりにも残酷な結果でした。

救急室で被害者の姿を目の当たりにした私は平常心を失い、我を忘れ被害者の横たわるベッドの脇で、青白く冷たくなった足を必死にさすりながら「ごめんなさい…ごめんなさい…」と恐怖でいっぱいになり泣きながら言い続けていました。これまで、飲酒運転で怪我をしたら困ると、夫の安否だけを考えていた自分の愚かさを恥じ、見ず知らずの人に一生消えることのない傷を負わせたことへの罪悪感を持ち続けて生きる辛さを知りました。そして飲酒運転の代償の重さを…家族が受ける地獄のような生活の始まりでもありました。

夫は事故後、ショックで更に飲酒量が増え、1ヵ月も経たない内に精神病院でアルコール依存症と診断されました。事故の後始末や夫がやるべき問題を私が解決に奔走するようになった頃、目の前のあらゆることが自分の責任となってのしかかり、被害者に対して「もっと何かしなければ…」と負い目を感じ、要求されるままに見舞金をかき集め支払いました。被害者が苦しい入院生活を送っていると思うと「幸せになってはいけない」という罪を自分に課していったのです。

自分のために何かしてはいけない。楽しんではいけない。のんきに休んではいけない…と。苦しみながら生きて当然だと思う日々の中で、親のだらしない姿を子どもたちに見せ続けました。子どもたちは、酒を止めきれない父親に振り回され、お金の工面に愚痴を言いながら走る不安定な母親に耐えながら生きていたと思います。

数年後、夫は断酒会という自助グループに参加したことで自らの過去を振り返り、罪を認め、酒を止め続けることができました。これまでの体験を通して、アルコール問題は家族ぐるみの病気であり、世代間連鎖することを学びました。何よりも被害者の幸せを願うこと、傷つけた子どもたちのために唯一の償いとしてできることは、アルコールの知識の啓発、アルコール依存症の予防。また、アルコール問題で悩んでいる本人や家族の被害相談や治療に結びつけるネットワークを充実させることだと感じています。